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インターナショナルスクールへの道①

    選択までの経緯とプリスクール時代

    初めまして。ISA-Tokyoの共同設立者である合川悠理です。このブログでは、このサービスを立ち上げるきっかけとなった想いや、私自身の子供たちが希望していたインターナショナルスクールに入学するまでの経緯や準備について書いていきたいと思います。

    まず、私自身の自己紹介から。
    私は小学校まで日本の地方都市で生まれ育ち、身近に外国人がいない環境で過ごしました。小学校6年の時に父親の仕事の関係でアメリカへ2年半過ごしました。英語はA ,B,CやHello, Thank you程度しか分からない状態でいきなり現地のMiddle schoolへ通うことになりました。通った学校は1000人近くの大規模校にも関わらずほぼ全員白人で、英語が分からないという事がなかなか理解されず、馬鹿にされたりと苦労しました。アメリカではMiddle school (Grade 6-8)で急速に学習進度も難易度も加速し、英語の分からない私にとっては授業もそうですが毎日の宿題も大変で日々深夜まで父と勉強していました。
    日本では勉強が出来た方でしたが、突然全く勉強が分からない状態になったこと、更に、今まで自分にとって世界の中心は日本であったのに、アメリカの学校の世界地図を見たら日本が片隅の方に小さく存在していたことなど様々な場面でカルチャーショックを受けました。
    授業自体も、生徒みんなが積極的に発言し、プレゼンテーションベースの授業は大変ではあったけれど刺激的でした。
    Grade6からGrade8の卒業までアメリカに滞在していましたが、最後は日本に帰国するのが嫌なくらいアメリカでの生活が刺激的で楽しく、とてもいい経験をさせてもらいました。

    いざ、自分が子供を持つ親の目線に立った時に、子供にとっての教育は何が良いのかを夫婦で沢山話し合いました。私自身の経験から、子供にはどこかの時点で海外を経験させたいと思っていましたが、私も会社員で保育園のサポート力に助けられていたのと、インターナショナルスクールに馴染みが無かったため、第一子は4歳まで保育園に通っていました。一方で、色んな文化を体感してもらいたくプリスクールのサマーキャンプに3歳から入れていたのですが、様々なインターナショナルスクールを見学する中で、アメリカの時に感じていたような子供たちが生き生きと授業に参加していている環境に魅力を感じ、日本の教育からインターナショナルスクールの教育へシフトしました。
    周りにハーフの子供の友人が多かったので、インターナショナルスクールは希望すればすぐに入れると思ったのですが、完全に読みが甘く、、、私たちのような日本人家庭には狭き門だった事をその後痛感しました。

    第一子は、4歳の夏(K4という日本でいう年中)からプリスクールへ編入しました。そこはIBプログラムのPYPを導入していたことと、いくつか見学行った中で最も伸び伸びしていて学校の雰囲気も良かったこと、友人が何人か通っていたことから決めました。この時点でインターナショナルスクールのお受験に対しほぼ無知だった私たち夫婦は、K4がお受験のピークで日本人が挑むにはかなりの準備が必要だったことを知らず、老舗インターをいくつか受けたのですが結果は全滅。子供の英語力も然りですが、インター歴が短かった(スクリーニングの時点で、インターにまだ半年も通っていないことになる)ため、書類の段階で落とされていました。通っていたプリスクールはキンダーまでしかなく、多くのクラスメイトは他の学校へ編入する子が大部分だったので、かなり焦りました。
    そこから、新興インターを中心に色々学校見学をさせていただき、IBプログラムが気に入っていたので、最終的に同じIBプログラムを導入している小学校以上も併設しているインターに編入することができました。

    そこでの話は「インターへの道②」をご覧ください。

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